素晴らしい看護師さん

手術翌日、パニック障害で予定より早く一般病棟に転棟。過呼吸が癖になったかのように起こる・起こりかけました。

一般病棟に転棟した初めての夕食後。食事すると、背中が暑くなります。食事からエネルギーを貰うんでしょうね。汗でペタペタになる。

そのストレスで、過呼吸になりました!

その時にすっ飛んで来てくれた看護師さんのことは、今でも忘れません。

看護師さんも、ヘルパーさんも皆さん忙しいじゃないですか。それに患者の移乗とかで体力も使うし。だからイライラするだろうと思うんですよね。

だけど、この看護師さんは、僕のそばにずっといてくれました。たぶん1時間くらいは居てくれました。背中が暑いと言うと、「圧を抜く」と言ったと思うんですが、僕の背中の下に、両腕を差し込んで、空気が入るようにしてくれて、ずっとそのままで居てくれたり

話を聞いてくれて、話をしてくれて、その看護師さんも、お子さんも含めてパニック障害で、だから気持ちがわかるのと。

僕は、彼女の時間を取ってしまっていることが申し訳なくて、それを謝るんですが

「私たち看護師は、患者さんの苦痛を取ってあげるために居るの」

と。中には勤務時間で動く職員もいて、それはそれで正しいけれど、看護の質が低下して患者さんが犠牲になることもある。そういう人達と、この看護師さんで、やはり派閥じゃないけど、どっち寄り、みたいなのはあるそうです。

「私は、いつかは帰れるんだから、帰りが遅くなってもいい。しっかり看護をするの」

本当に有り難くて、僕はこの人の前で泣いてしまったし、僕はこの人のようになりたいと思いました。そして本当に苦痛で泣いている人に寄り添う、素晴らしい仕事だと思いました。

僕は看護師の資格はないけれど、ヘルパーの資格は持っているので、辛い人に寄り添うために、本気で転職しようかと思いました。もしそうなったなら、この看護師さんのもとで働きたい、と思いました。

(実はこの看護師さん、嫌な人とは別ですが、1回目の入院の時に、僕が腹を立てた人でした。まあ、どんな人でも完璧ということはないですし、僕が誤解している可能性も充分にあるということですね。)

手術翌日 パニック障害の原因を考えてみる

パニック後、体を色々触ってみたら、左足裏のかゆみに気づいたわけですが、他にもキッカケ(ストレス?)と思われるものはありました。

きっかけ

自覚のないもの

パニック中は分からず、あとになって分かったものとして、以下のようなものがありました。

  • 1回目の入院の時が後頭部のかゆみ
  • 今回は左足裏のかゆみ

これらを掻くと、メッチャ痒みが取れて(←それまで痒みに気づかず、なぜかウワーッとパニックになる)、ああ、今までパニックになったのは、これがキッカケかと気づくんです。

あと思いつくのは、まずは常に「動いちゃいけない」のプレッシャー(ストレス)があって、それに他のストレスが加わって、合計が僕のストレス許容量をオーバーするとパニックになるのかな。

自覚しているもの

  • ナースステーションのうるささ
  • モニター音
  • ザックリ切った手術創の痛み
  • ゴリゴリ切った頚椎の痛み? (←骨折と同じようなものではないのかな?)
  • ささっているドレンチューブが当たる痛み
  • 手術前にはなかった痺れが出てきた焦りと悲しみ
  • 「動けないのが嫌だ」「寝返りが打てない」
  • 「動けないのがあと2日?続くのに耐えられない」

その他

  • 母との不和
  • 父との不和

きっかけの説明

左足裏のかゆみ

こういうのは自分で色々触ってみないと、どこに不快感があるのか分からない。ただし、こういうキッカケがいつもあるとは限りませんでした。いや、いつもあって気づかないとか、複合してというのはあったのかも。

ナースステーションのうるささ

1回目の入院の時は、ナースステーションから遠かったのか、気にならなかったんですが……。今回は、かなり近くにあったらしくて交代時の「おはようございまーす!」の挨拶がいちいち聞こえてきたのと、引き継ぎ連絡と、いつも来る認知症の患者さんへの対応など、その他全てほとんど聞こえてきて、結構ガヤガヤうるさかったです。

これは苦情でも何でもなく、僕自身の受け取り方もあるでしょう。

モニター音

これもナースステーションに置いてあるやつです。患者さんのところにもあるんですが、無線か何かでナースステーションにもあるモニターも鳴ります。「ポーン、ポーン」と。延々と

痛み

首の後ろの皮膚、肉をザックリ切ってるんですから、痛いです(閲覧注意! 縫合後の首の写真です。ステープラーが打ってあります)。いくら痛み止めを飲んでいても、麻酔は切れてるし。

ドレンチューブについて

首のうしろに管(ドレンチューブ)が入っていて、術後の排液をしています。皮膚を切って管を入れてるので痛いし、でも身動きができない。それで心が「ウワーッ」となってしまいます。

排液が少なくなってからチューブを抜かないと、体の中に排液が溜まってしまって良くないのだそう。これをきちんとやらないと、原因不明の頭痛とか吐き気とか、ヤバいことが起きて緊急手術になるのだと。そこで「そうか、じゃあ頑張ろう」となれず、「嫌だ! 怖い! でも早く動きたい!」となってしまうのです。「あるがままを受け入れる」ことが、全くできなかった

入院時に渡された「入院生活予定表」というカレンダー、自分では見られない(というより荷物まで行けないし、かと言ってベッドに置きたくもない)ので、カミさんに読んでもらいましたが、ドレンがいつ終わるのかは書いてない。

看護師さんに聞くと、「排液が少なくなったら」。具体的には「100mLを切るのが目安」と。

しかし「ドレンチューブを明日抜くのは無理そう」と言われてしまい、とてもガッカリしました。本当に落ち込みました。「また明日も同じような一日になるのか」と。

痛み

ドレンの話に偏ってしまいました。

皮膚や頚椎自体を切っているので、そちらの痛みも当然あります。なので動かしちゃいけないんですが、動かすと痛い(当たり前)。

僕はちゃんと返事をする人なので、思わず頷いたりする時に頭ごと首を動かしがちなのでした。

両親との不和

これについては、別エントリで。

細かいことを言えば、不和の対象は「両親」ではなく「母」と「父」です。

手術翌日 パニック障害

後日、パニック障害と診断されたので、もうここからこの病名を使っちゃいます。

息ができない

息の吐き方を忘れてしまうというか。看護師さんから「深呼吸しよう」「ゆっくり息を吐いて」と言われても、できない。やろうと思っても、身体がいうことを聞いてくれない。例えば……耳を動かせない人に動かせって言うような感じかな。

ちょっとヤバいと判断されたのか、看護師さんが僕の了解を得て家族に連絡し始めました。ただ、僕の母は心配性&怒りっぽい(こういう時でさえ怒る)ので、連絡はカミさんだけに留めてもらいました。もっとも、カミさんも仕事中ですぐには来られなかったんですが。

どうにもならず、その日予定されていた点滴を「すぐ持ってきて!」と早めて開始されました。この中に含まれる薬剤が、神経を安定させる作用もあると言われました。

あとから別の病棟の看護師さんにこの話をすると、「あの薬にその作用はないと思うんだけどな」とのこと。Webで調べると、効果の有無は曖昧なところ。無かったとしても、それが僕には効きました

カミさんも来ないけど、看護師さんがずっとついていてくれました。ずっとついていてくれることに、申し訳なさを強く感じました。いてもらえば居てもらうほど、その気持ちは強くなりました。今になってみると、これは自分を追い込んでしまう考え方だと思えますが。

すべてを話す

点滴を打ってもらっても、落ち着いたり再発したりを繰り返すので、看護師さんと喋るしかありませんでした。

結果から言うと、それは自分を振り返る良い経験だったと思います。

今まで考えることから逃げてきたこと。例えば、表面上は問題なくても深いところで確執を感じていた両親のこと。両親が厳しくて、良い子でいなければならず、甘えることが出来なかったこと。(これらは、またお話することがあるかも知れません)

それら、思いつくことを全て話したら、症状が収まりました。

落ち着いてから分かったこと。割った頚椎とか手術創の隣に、体内の出血が止まるまで挿してあるドレンチューブがあるんですが、これがまた僕には痛かった。動いちゃいけないからと、頭部や首を枕に押し付けたわけですが、ドレンチューブが当たって痛かったです。

ドレンチューブについては後日書きますが、この日、「これだと明日ドレン抜くのは無理そう」と言われ、ガックリと来てしまいました。

こんな事があり、ICUだと環境が僕に合わないだろうと打診され、この日のうちに一般病棟に転棟になりました。手術翌日で 予定より1~2日早いですが。

手術翌日 過換気の症状

過換気は過呼吸と以前いったものだそうで、僕は過呼吸のほうが慣れてるので、そちらで書きます。

まず、手術翌日の起床時にモニターOFFになりました。

やっと水が飲める

手術後、酸素マスクで口内がカラッカラなのに、水分摂取禁止だった。手術翌日の起床時刻から、水分摂取可能に。

1回目の入院からそうだったんだけど、看護師さんが、点滴の管を利用したお手製のストリーマーみたいなものを作ってくれた(写真なし)。おかげで看護師さんを呼ばずに済んだ。……けど、中で管が水面に浮いちゃうのか、しばらく飲むと水が来なくなったり、容器内の気圧が下がって水が出て来なくなったり。

本気で、カミさんにストリーマー

を持ってきてもらおうかと思ったが、組み立てを教えるのも難儀なのでやめた(機材乾燥のためにバラしていた)。ちなみに看護師さんが作ってくれたのは

こんな感じのやつです。薬が入っていた(?)プラスチック容器のフタに穴を開け、点滴の管を挿し、管の先は僕の枕元に。お手製です

過呼吸を起こす

この日は過呼吸を起こしたせいか、ツイートしてないようです。

7:00に起床。水分摂取可能になり、8:00頃、全介助で朝食。寝て真上を向いたままなので、お椀やお皿に何が入っているのか、言ってもらわないと分からない。口の中に入れてもらって、ああ、確かに○○の味だと思うわけです。

そんなわけで膳の状況が分からないけど、看護師さんによれば、半分ほど食べて終了したと。まあ、前日から禁食だったから、胃が動いてないような感じ。

その後、だいたい9:00頃だったと思う(終わってからの記録が9:40)。過呼吸を起こした。

原因が何だか分からないけど、とにかく息が早く、浅くなって、で、なぜか分からないけど、吸うばかりで吐くことができなくなっている

苦しいのと、初めての異常に怯えてナースコール。かろうじて「気持ち悪くなった」とだけ伝えられました。

看護師さんがすぐに来たけど、こちらも呼吸するばかりで喋れず、何とか症状を伝えたら「過換気を起こしてるね」と。

1回目の入院のときも、「動きたい! じっとしているのは嫌だ!」と、ものすごく気持ちが高ぶってしまい「ウワーッ」となってナースコールしたけど、今回ほどじゃなかった。(ただ、あの時は他にも原因があった。体を色々触ってみたら後頭部のかゆみに気付き、掻いたらメチャクチャ落ち着いたのでした)

次のエントリに続きます。

手術日 手術後

「眠くなる薬を入れますね」「はい」の受け答えのあと、たぶんすぐに眠ってしまった。気がついた時、手術は終わっていて、執刀してくださった教授先生が、病室で僕の両親とカミさんに結果の説明をしているところだった。

先生が喋っている間だったけど「あ、終わったんですね。先生、ありがとうございます」とお礼を言った。「あ、気がついたんだね。手術は成功しましたよ」と言ってもらえたのが嬉しかった。目が覚めて、両手両足が動かなくなっていたらって心配も、本気でしてたから。

手術の直後、麻酔も完全には切れてなかったけど、両腕・両手の痛みが、かなり軽くなったと実感した。ママチャリしか乗ってなかったのに、初めてロードバイクに乗るくらいの違い。

手術直後の僕の状態

こんな状態でした。痛みが楽になったのでさっそく自撮り。上から順番に書いていきます。

頭の上にティッシュペーパーを置いてくれて、痰が出たらティッシュに出してゴミ箱に捨てる。ゴミ箱は見えないから、床に落ちてもいい。

頭髪は、前のエントリにも書いたけど手術のためにスキンヘッドになっていて、いくら元々ハゲてても、寒いので帽子。

顔の両隣にある赤い枕みたいなものは砂嚢といい、頭が動かないようにするもの。土嚢じゃなくて砂嚢。

口には酸素マスクをしていて、この酸素が乾燥していて、口の中がカラッカラになるのがキツかった。そして翌日の朝まで水をのむのも禁止でした。

酸素マスクの下にあるガーゼは、マスクが当たって痛いから。別に喉を切ったわけではないです(手術創は背中側)。

あと、幾つか見えるコード類は脈とかのモニター類ですね。

それと、写ってませんが(写ってたら問題だよ)尿道カテーテルが入ってます。全身麻酔中で良かった。あれ入れるの(抜くのも)痛いんだもの。

どんな手術をしたのか

明細書をみると、保険請求上では

  • 脊椎固定術
  • 椎弓切除術
  • 椎弓形成術(椎弓形成)
  • 多椎間又は多椎弓実施加算(椎弓切除)
  • 人工骨(専用型・(椎弓・棘間用)) 32,500円×4

とのことで、「頚椎椎弓形成術」とか「頚椎後方除圧術」といったキーワードでググるとわかりやすい。とくにここのページの術式は、僕が受けた手術です(この病院で受けたわけではありません)。

著作権が気になるのと絵心がないので図示しませんが、簡単に言うと

  1. 首の皮膚を背中側から縦にザックリ切る
  2. 骨(第3頚椎(「C3」以下同)~C6)を縦にガリガリ切って開く
  3. 開いた間につっかえ棒(人工骨(アパタイト))を挟んで固定する

という感じでした。

(C7については、上記の術式が使えないので、神経が当たっている骨の部分に穴を開け除圧するにとどまってますが、これは保険請求できないのか、C3~C6の手術に含まれるルールなのか、明細書には書かれていませんでした)

家族も帰って、一人になって

手術後、手の痛みがかなり楽になったので(痛みはあるんですが)、上記の写真を撮ったり、ツイートしたりしてました。少しだけど。

消灯後、一人ぼっちで気になりはじめる

眠ってしまえばいいんですが、手術創部の痛みもあってすぐには寝られませんでした。皮膚だって切ってるし、骨も切って開いているわけだから。

そんな時は、動かず、ただ、ボーッとしていれば良かったのでしょう。

なのに僕は、動けず、ボーッとしながら、すこしイライラしてました

部屋のモニターの音が「ポーン、ポーン」と延々鳴っていたから。

認知症の患者さんが、夜中にもかかわらず、車椅子で徘徊し「帰ります」と延々言い続けていたから。

手術日 手術前

手術前

朝食は7:00にカロリーメイトゼリーのみ。8:30から水分摂取禁止。なのでまた、時間ギリギリまで水飲んでましたw

その後は点滴がずっと続いたので、喉は乾かなかったです。

ただこの日は7:00に一旦起こされても8:00頃まで寝てしまっていました。痛みによって、疲れていたからです

不安

死ぬわけじゃないんだけど、家族が来ました。子どもたちは学校行ったけど。

死ぬわけじゃないけど、万が一ってこともないとは限らない……と思っていると、とても怖くなりました。

正直、手術後に3日間動けないことも含め、不安はありましたけど、もう中止できないと腹を括っていました。

手術の順番が来て、普段は使わないエレベーターまで家族はついてきていいって看護師さんが言うんですが、そのエレベーターの前に何となく霊安室を連想させるような寂しさがあったのを、それまでの入院生活で知っていました。何となく今生の別れになってしまうような気さえしたので、家族とは病室で別れました。「じゃあ、行ってきます」とか言ったと思います。

あとは、歩いて、エレベーターに乗って、また歩いて、手術室に着いて、ストレッチャーに寝かされました。

ストレッチャーのままガラガラと手術台の隣まで運ばれ、モニターをつけたりとか色々と処置をされました。その時に、もう逃げられない、引き返せないと思うと、とても怖くなりました。思えば僕の(今回の)パニック障害はここから始まったのかも知れません(その傾向は、もっと以前からありましたが)。呼吸が、ちょっと喘ぐような感じで早くなりました

マスクをした若い男性の麻酔医が名乗って挨拶してくれました。「(点滴に)眠くなる薬を入れますね~」と言われ、力なく「は~い」と答えたところまで覚えています。


入院2回目

2019-01-16、頚椎椎間板ヘルニアの手術のために入院しました。翌日に手術です。

手術準備のための一日

除毛

僕の場合、患部は頚椎5~7番ですが、教授先生の判断で少し上の3番から手術を受けてます。患部だけだと、そのすぐ上の頚椎に掛かる負担が大きいのだそう。

後頭部の髪が生えている、耳くらいの高さから切ってるんですが、そのために髪を剃らなきゃいけない。実際には刈るんですが、「○ミリ」みたいなスペーサーは入れません。直に頭に刃を当てて刈ります

刈るのは看護師さんで、電気バリカンなんですが、髪型が2択でした。一つは、

できるだけ髪を残して、それ以外を刈るか。

もう一つは、丸坊主か。

まあ僕の場合もともとが

こういう髪型なんで、髪の毛を残すも何も、何も残らないんですが。むしろ残そうとした努力の跡を見られる方が辛いので、丸坊主を選択。

結果、

こうなりました。(デデン、デンデデン!)

食事

18:00開始の夕食までです。夕食後の食事は禁止。22時以降は飲水も禁止。何で水飲んじゃいけないんだろう。消灯は21:00ですが、痛みによる疲れで19:00頃には眠ってしまいました。なのであまり空腹は感じませんでした。

ちょっとの不安

ちょっとじゃないですね。かなり不安でした。だって神経だもん。しかも脊椎の手術。地震とかあって、神経を切っちゃったりして、四肢麻痺になっちゃったらどうしようとか。

それは確率としては低いんでしょうけど、ゼロとは言い切れないし、そうなってしまったら……という不安はありました。

あと、手術が成功したとしても、その日から少なくとも3日間、全く動いちゃダメと聞かされており、それも自分にとっては苦痛でした。動いて患部が悪くなっちゃ、元も子もないんですが。

思えばこの時から、いつもより心配してた気がします。手術だから当たり前なんですが、ちょっと過度だった。

頚椎椎間板ヘルニア 入院4日目 パニック障害の症状と一般病棟へ転棟

パニック/過換気の症状を発症する

少しだけ心に余裕が出たのか、朝、体を動かしたくなりました。はじめは「歩きたいな」くらいでした。ですがその気持がどんどん強くなり、自分でも制御できなくなり、叫び声を上げそうになってしまった。これはヤバいと直感して、ナースコールを押しました。

看護師さんが来てくれましたが、呼吸が早くなっていき、吐くことが出来なくて吸うだけになり、だから喋るのが極めて困難になりました。意思の疎通が出来ないから、ますます焦って症状が酷くなりました。

「過呼吸、今で言う過換気の症状。ゆっくり息をして」と看護師さんに言われましたが、それが出来ない。お忙しい中、看護師さん(後にICU病棟の師長だったらしいと知る)を10分以上(たぶん30分とか)、僕のそばにつかせてしまいました。

これ結構な騒ぎになり、まずパート勤務中のカミさんの会社へ連絡が行き、社内の放送でカミさんが呼び出される事態に。

病室も、師長だけでなく数人(たぶんICU病棟の手の空いてる?看護師すべて)が集まってきました。

吐けばいい息が吐けない。辛い。その状況がずっと続いて、師長が点滴の用意を指示しました。もともとその日にする予定の点滴を、早くやる感じです。

その中に入っている薬剤が、神経を鎮める働きがあるからという説明でしたが、後日他の看護師にその話をしたところ、「その薬剤にそんな効用はないと思うんだけどな」と。今ざっとググってみても微妙なところなので、その薬剤名は書きませんが、とにかくその点滴を入れてもらい、間もなく呼吸が出来るようになったのは事実でした

プラシーボ効果かもしれません。だとしたら、またしても看護師さんのお陰で救われたことになります。看護師さんの機転です。どんな方法だって、仮に嘘だって、患者からすればその時に楽にしてもらえたらいい。

パニック/過換気の症状の原因

症状の原因は、意外なところにありました。後頭部が痒かったんです。

前述の点滴で症状が落ち着き、看護師さんがいなくなってから、本当にたまたま、後頭部を掻いたんですよね。そしたらそこが痒いことが分かった。

それまで、頚部絶対安静でもう首から上に触るのはご法度みたいな雰囲気だったので、余程のことがない限り触らなかったんですよ。

ですが気が抜けて、思わず掻いたら、後頭部が痒かった。掻くまで気づかなかった。痒いのが、ストレスになってたんだと思います

こっそり掻いて、スッキリしました。

4人がかりで清拭

頚部絶対安静のため、入浴許可の指示が出ておらず、入浴できず。なので、看護師/ヘルパー計4人で僕の服を脱がせ、温かいタオルで清拭したり、足浴をさせてくれました。

もうホント、入院してから大して汗も書かなかったし痛みが酷くて風呂なんて考えてませんでした。だけどイザ清拭してもらうと、本当にサッパリして気持ちよかった~。陰部洗浄も本当、サッパリしました。本当に大変ですが素晴らしい仕事だと思います。心の底から尊敬しました。

医師回診

多分この日は、主治医である院長ではなく、チームの医師が回診していた気がします。3日後、大学から脊椎専門の教授先生が来るので、そこで手術も含めて相談するのが良いと言われました。

一般病棟へ転棟

元々この日が転棟の予定だったか、記録が残ってないんですが、一般病棟へ転棟しました。もしかしたら、「ICUよりも気分が紛れて良いから」という病院側の判断があったのかも。だとしても問題ありませんでした。

暦日で4日、お世話になったICU。真上しか見ていないので声だけでの挨拶でしたが、お礼を言って後にしました(一般病棟の看護師さんにベッドごと運ばれました)


一般病棟の自分の部屋へ到着し、初めて入院後、4日目にして空を見ました(↑写真)。久しぶりに見たので、空を見られたことが感動でした。スマフォのレンズが指紋で曇ってますが、でも空が見られた記録です。

一般病棟がICUと違うところ

まあ、僕から見てなんですが、雰囲気が違いました。ICUはとにかく静か。本当に治療に専念という感じです。

一般病棟は、外来のBGMまで流れてるし、職員もバタバタしていて「千と千尋の神隠し」で働いている人たちみたいでした。

尿道カテーテル

この日の文章の冒頭で「余裕が出てきたのか」と書きました。

それに関連するのか、まあ男性ですからアレなんですけど、体力的にも余裕が出てきたのか、まあアレがちょっと大きくなろうとすることがあるんです。そんな歳でもないんですが

だけど、尿道カテーテルが入ってるので、ちょっと大きくなりそうになっただけで痛かったです。西遊記の孫悟空の頭の輪っかかと思いました。変な考えを起こすと締め付けられる、みたいな。いや、変な考え起こしてないです。生理現象です。

Amazonプライムミュージックに呆れる

バッハの「主よ 人の望みの喜びよ」が大好きで、パニックの症状もあったので、タブレットでこれを流してました。流すうちに、データ使用量が気になり始めました。

見れば、ダウンローごボタンがあります。通常、タブレットにデータをダウンロードして、そこから再生するものですよね。ですが、どんなに操作しても、どんなに設定変更しても、ダウンロードできませんでした。

でも好きな曲を聞きながら、ふうっとリラックスしたのでした。ですが、データ使用量は気になったのでした(けっきょく気が休まらないw)。

レーシック手術はオススメできるのか?

レーシック手術を受けて、9年になります。

結論から言うと、「その人次第」です。ですが迷っている方は、以下の僕が感じているメリットとデメリットも参考にしてみてはいかがでしょうか。

手術を受けようと思った理由

  • 流行り(といっても9年前)
  • 生涯で視力矯正に掛かるコストを検討
  • 自転車乗り
  • 自分で掛けていた生命保険が利いた

流行り

まず、流行りについてなんですが、当時、職場で2人、Webで1人と、僕の周りの人が立て続けに手術を受けてました。職場で2人もいると話もよく聞けて、疑問を解消できました。メガネやコンタクトレンズなしで生活できるから、すごく楽そうでした。

生涯で視力矯正にかかるコストを検討

まあざっくりと。僕の場合、近い親戚がメガネ屋をやってるのもあって、視力矯正はそこでメガネを買わないといけない雰囲気。コンタクトもダメ。街に出れば、数千円でメガネを作れるのに、僕の場合は1回で数万円掛かる。

それが、長くても5年、短ければ3年位で「機種変」になるわけです。当時だいたい37歳だったので、80歳まで生きたとし、4年毎に、4万円掛かると仮定します。

そうすると、だいたい4年が10回来るので、約40万円かかる計算です。

(ただこれ、それまでメガネを使う生活をするかっていうと微妙なんですよね。ボケちゃって本なんか読まないってこともあるわけだし。ただ、当時はそこまで考えられませんでした。何歳までメガネを掛けるかがホント不確定です)

それが、僕が受けたレーシック手術だと27万円。(←確か)

メガネを作るのは、視力計測した日に出来るような店ではないので、2回は店に行かなきゃいけない。しかも上記の試算だと生涯で10万円くらいは安い。

自転車乗り

自転車乗りだとアイウェア(いわゆるサングラス/ゴーグル)が必要。まあ、虫から目を守るならメガネでも良いんですが、高価なレンズに虫が当たるのもどうかと思う。そうするとアイウェアが必要になってきますが、度が入っているアイウェアって、ないんですよね。メガネを掛けた上に掛けるアイウェアもあるけど、なんかゴツくなるし。

あとコケてメガネを壊すと仕事できなくなるし。

自分で掛けていた生命保険が利いた

5万円かな、下りてきたの。たまたま僕が入っていた保険は医療保険つきで、レーシック手術も対象でした。これは保険によって違うと思いますが。

手術を受けて

メリット

当たり前ですが、見えること。

まず、駅のホームに出た時、遠くの時計や案内の文字が見えたことに驚きました。世界って、こんなにクッキリしてるんだ! と。

温泉でも、良かったです。温泉って、足元が岩だったりヌルヌルしてるのに、よく見えなくてツマヅイたり滑ったり。それがなくなったのは良かった。見たくもない男のハダカもクッキリ見えるようになっちゃったけど。

デメリット

残念ながら、良いことばかりではなかったです。

ハロー・グレア

上の写真は、僕が受けたクリニックの手術ガイダンスからの抜粋です。夜、屋外に出ると、こんな風に見えるようになります。ガイダンスには

個人差はありますが、ほとんどの場合こういった症状は数ヶ月で改善されていきます

とありますが、僕は改善されませんでした。少しはされたのかも知れないけど、完治は全くしてません。今でも写真のように光が見えます。

ちなみに、夜に外出したり車の運転をするのに支障は感じません。

その他のデメリット

これは手術ガイダンスに書いてないんですけど、「明るいところにある暗い場所」が見づらいです。例えば机の上は明るいけど、暗い机の下とか。写真でいう「白飛び」の逆。「黒つぶれ」です。

これは手術を受けてから「あ~……こうなっちゃったんだ……」と思いました。

それと、たまに掛かる怖い眼科の先生から「うん? レーシック受けた? レーシックが原因の治療は、全部自費だからね!」と言われました。分かってましたが、この先生に言われると凹む。

まとめ

はじめにも書きましたが、人によると思います。僕は、メリットのほうが大きいと思ってました。

ですが最近、レーシックは無関係ですが、パニック障害を発症・診断されまして。

「この症状(ハロー・グレア)は一生治らないんだ……」

「『黒つぶれ』は一生治らないんだ……」

「僕の目は、もう手術前に戻したくても戻せない」

「レーシックで目がトラブったら、(その治療に対して)公的医療保険は使えないんだ……。そうなったら凄くお金が掛かるんだろうな……」

私事ですが、こう考え始めると、頭の中がこれで100%になってしまい、「嫌だ! 嫌だ!」の感情と共に息ができなくなります。

パニック障害になった経緯はまた別の話ですが、メンタル面で気にする傾向があったり、ネガティブになりやすい人は避けたほうが良いかも知れません。(ただレーシック手術を受けた当時、パニック障害の発症は予想できませんでした)