わが家にネコがやって来た

新しい家族が増えました

母との不和/父との不和

パニック障害の原因になるのか分かりませんが、気に掛かったので書いてみます。

不和と書いちゃいましたが、先に断っておくと、今は母とも父とも、仲は普通か良いとさえ思います。

母との不和

母は僕が幼少の頃から厳しい人で、母に気に入られなければ居場所がありませんでした。

僕は通っていたスイミングスクールが嫌で、緊張で吐いたりしたんですが、あとで

「みっともなくて恥ずかしかった」

と言われる感じでした。だから、母に心底甘えたことは記憶になく、子供の頃は特に、顔色を伺っていました。

万事、上記のような感じだったので、失敗が許されない。だから「失敗するんじゃないか」という不安が生じ、更に「不安になって吐いて、また怒られる(嫌われる)んじゃないか」と、「不安に対する不安」が生じ……。

ここまで来ると、もう悪循環です。

術後、かゆみや「動けない」のストレスがありました。加えて、下記のように思ってパニックになった気がします。

「手術はした。目覚めた時『治った!』と言っちゃったけど、麻酔が完全に切れてみたら痛みはまだある。治ってない! また母をガッカリさせてしまう。母に怒られる!」

術後の苦痛とパニック障害で心身ともに疲弊しており、「怒る」かも知れない母や父が見舞いに来るのが、精神的に重荷でした。

母との和解

それで、どうにも耐えられなくなって、上記含め、気に掛かっていることのすべてを母に LINEで伝えました。それに対する母の返答の中に「母親1年生で思い返せば反省点が多々ある」とあり、これを読んだ瞬間、これから親子の関係を修復できると思いました(実際の母のLINEは長文でした)。

ここから、母には正直な気持ちや意見を素直に言えるようになったと思います。45歳にして、初めてです。

父との不和

僕自身が父には甘えようと思わなかったので、母のときのように「甘えたいのに甘えられない」ということは無かったです。ただ父は父で、人の気持ちの理解をしようとせず、自分の考えを押し付けることばかりでした。だから僕は思春期以降、とても反発しました。

そしてそれから長い間、今まで、「あんなふうにはならない」と蔑んでいました。

父との和解

母にすべてを話したあと、母は母で、父に僕が弱っていることに始まり、これをキッカケに父に直して欲しいことを言ったのだと思います。

両親が見舞いに来ました。その時のことは良くは覚えてないんですが、僕は涙も交え、両親に思いの丈をぶつけました。

それはあくまでも建設的に、お互いに無理をしない親子関係を築くため。

それまではギクシャクしていたので、僕は自分が潰されないように、両親に牙をむくような喋り方をしていたものです。

それが、泣きながら(感極まって過呼吸ぎみになりながら)話し、お互い建設的に言いたいことを言ったことで、その後、互いに変な遠慮がなくなりました。家族としての一体感が生まれたというか。

その後一時的にLINEの件数が激増したのは、その表れかもしれません。父とは短波ラジオや落語の話題で。母とも雑談が増えました。

両親が生きているうちに、腹を割って話せて良かったです。

コメント

  • ご両親と和解できて良かったですね。

    うちはもう母しか居ませんが、牙を剥くのは避けられるようになりましたが、本当に腹を割って話すことは無理そうです。

  • ●それはそれで良いと思います。僕も今現在の、退院して半日だけど職場に復帰してる状況では、両親に自分をさらけ出せないです。

    当時は心が参っていて、カミさんを通して両親に見舞いに来ないように言ってもらったんです。「なに? 手術受けたのにまだ痛いの?」「そんなことじゃダメだ」と言いそうだったから。

    でもいつまでもそんなことを言ってられないので、半ば仕方なく言いたいことを言ったという感じでした。

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