安すぎるファミレスにはもう行かない

昨日,カミさんの提案で超格安なファミレスに行った。ドリアが約300円で食べられるところ。僕は気が進まなかった。たぶん,前回行ったのは5年以上前だ。

料理はまあ,こんなもの。安いので幾つか頼んだが,食べていて,ベースが冷凍食品に近いなあと。パスタのソースは,自宅でレトルトで温めて使うのと大差ない(むしろ自宅で食べるほうが旨い気がした)。まあ,値段相応ではある。

給仕しているスタッフが2名で,その内の一人の愛想が悪い。ああ,これは忙しいのだと想像できるが,不機嫌な態度でやり取りされてもねえ。

最悪だったのが,僕の前に座ったカミさん,ではなく,その後ろのグループ。

まず,3名様の成人女性がいて,それぞれがスマフォを持って互いの写真を撮ってる。覗き込みたくはなかったが,たまたま見えた写真を見ると,相手の顔にウサギの耳が生えたり,鼻が動物のものになったりみたいな。

んで,その人達がずーっと喋ってるんだけど,その内の一人がお子様2名を連れてる。この子達は,たまに騒いだり席で立ったりする。

その度に母親らしき女性が叱るんだけど,叱った後でも他の2名様と喋ってるだけで。そりゃ,子供はメニュー見てるだけで放ったらかしじゃ,構ってほしくもなるわな。見ていて可哀想になった。

ああ,安い店の嫌なところだな,というのはここまでで,あとは嫌ってほどでもないんだけど,リーズナブル過ぎるせいか(服装からして)中学卒業後,高校入学前っぽい男子6名様ご来店。全員が帽子のつばを後ろ向きにしてるのは流行りなのかな。

着席・オーダー後,彼らがゾロゾロとトイレに行くのを見て吹いた。

懐かしいな~,連れション。だけど6人全員,同時に行くと,一部の人達があらぬ想像をして悦ぶから気をつけたほうがいいよ。

すばらしい病院

昨日は酒も飲まず,子供を寝かしつけながら21:00くらいに寝た。

今日は休み。起床時に酷い気分の落ち込み。

精神科を受診しようと,Google マップで評価の良い,Aクリニック(2018-04-02 11:39現在★3.6)電話を掛ける。まずは話し中。ちょっと時間を置いて電話を掛ける。忙しそうだからと,「お忙しいところすみません」と切り出す。なのに電話に出た女性の声色が,ため息混じりでいかにも面倒臭そう。そして予約が一杯で諦める。こちらから電話を切るより先に電話を切られたのには驚いた。

次に評価はあまり良くない(★2.4)が,自宅近くでは大きいB病院に電話を掛けてみる。結論から言うと最高だった。まず,電話に出た女性が,声色からしてとても親切だった。そして,予約は相談員(ソーシャルワーカー?)に回されたのだが,ここで対応下さった方(女性)がまた親切で,「失礼でなければ」と僕の症状,飲酒歴,症状が出るにあたりキッカケになると思われる出来事,などなど,事細かにヒアリングを行ってくれた。電話を切ってみたら,30分以上経過していた。

正直に言ってこれだけで気分がかなり落ち着いた。

結果的には,B病院への受診ではなく,C医院が僕に合っているのではと提案された。理由は,B病院だと同じ曜日,同じ時間,同じDrへの受診でなければいけないから。それは,同じDrでないと治療方針や考え方が変わるから理解できる。

そして僕が休みの金・土曜日だが,金曜日は休日出勤が入ることがあるし,土曜日は子供の行事が入ることがある。つまり金・土のどちらかで受診したい。ところが担当Drを見ると,土曜日は非常勤医師で回しているらしく(どこの医療機関もそうだ),他の曜日に名前がない。つまり都合で土曜日に受診できないからといって,金曜日に受診するわけにいかないのだ。

通常であれば,経営的に「自分のところに患者を誘導しろ」と言われているだろう(僕の勤めていたところはそうだった)。そういうのは無関係に,この患者に本当に良いのは何なのかという考えからの提案。これだけ素晴らしい対応になると,何かあったら是非お願いしたいと思うのが人情だし,周囲にも知らせたくて,Googleマップのレビューに投稿してしまった。それくらい良かった。

ところで,僕がレビュー投稿したことで★2.7になるはずなのだが,2.4のままだな……。

結局1本飲んだ

休日2日目(最終日)。午前中からサザエさん症候群。ほぼ,前々回のエントリを書き終えてからである。

昼間,長男taiseiの中学校で使う自転車の試走に付き合った。もうこの頃から,体力・精神力ともにエネルギー不足だった。

ほんの数kmしか走ってないのに,帰宅後,仮眠しようとして1時間以上眠ってしまった。

夕方になり,ビールに手を伸ばしそうになった。が,朝に書いたエントリを読み返して,ノンアルコールビールを飲む。カミさんに驚かれる。

おかげで,夕食も家族との会話を楽しめたし,その後も部屋の片付け,読書(少しだが)ができて充実した。

ただ,寝る前になって,どうも気分が落ち着かないので1缶だけビールを飲んだ。

いつも不味いと思う2~3本目まで飲んでいた昨日よりは,偉い進歩だ。

では,おやすみなさい。

iTunesで以前ダウンロード購入した曲ファイルが重複していく話

いつもは使わないiTunes。以前ダウンロード購入した曲(機動戦士ガンダムII 主題歌 「哀 戦士」 井上大輔)を聞こうとして開いた。その曲を再生させようとしたらApple IDのパスワードを聞かれた。

「?」と思いながら入力すると、今度はiPhoneにワンタイムパスワード送ったからそれを入力しろという。ので、入力した。

すると、ダウンロードが始まった。

いや、ちょっと待て。この曲のファイルは以前、PC内で見たことがある。なぜダウンロードなのか。

何となく嫌な予感がしてそのアルバムのフォルダを開いたら……。

元から存在するファイルと名前が重複するからか、ご丁寧にファイル名に連番までつけてダウンロードされている。元のファイルを上書きするのではなく。

それがアルバム内の曲全てに行われているから、早い話、そのフォルダには同じ曲のファイルが2つずつあるわけだ。何という無駄。

そして、iTunesからはその新しいファイルを参照していた。

ちなみに、新旧ファイルのサイズは、新しいほうが若干大きい。

だけどファイル名に連番が付いてるのが気に食わず、新しいほうを消した。

(すると、今度はiTunesからファイルへのリンクが切れた。新しい参照先(と言っても元のファイル)を指定して終わった)

「いま」を生きていないことに気づいた

自分の不快感ばかりに意識が向き、家族が笑っている時に、僕だけ下を向いて自分だけの世界に入り、笑ってない。

それに気づいたのは、今、家族と共に食事をした時(本当は良くないことだが、食事しながらブログを書いていた。前のエントリ)。

よく考えたら、休みや早番の日以外は、家族と食事できていないんだな。それはどんな仕事でもあるだろうが、現在の仕事は、子どもたちと数日会えなかったりする。カミさんは無理して起きていてくれることもあるが、寝ていることもある。そりゃ、帰りが1:00近けりゃ寝るだろう。

話を戻す。

「いま」を生きなきゃ、とは思うのだが、その人が辛い時、いまを生きる事は可能なのだろうか。その人にとっては、辛いのが「いま」ではないのか?

「その人」とは自分なのだけど。

子供の笑顔を見て、少しだけ楽になるが、直ぐに暗くなってしまう。

今ある問題(今の仕事を辞めたい)があるから。

しかしそもそも、これも「いま」ある問題なのか?

こういう思考をしていって、高校時代にノイローゼっぽくなり、バスに乗れなくなったのを思い出した。もうやめよう。だけど考えよう。

仕事を辞めるのもGTDで言えば、転職というプロジェクト内のタスクの一つに過ぎない。順番としては、「次の仕事を見つける」の後に来るわけだし、昨日は、ある会社に電話して盛り上がったけど結局ダメだったしいつもの仕事で疲れているのだから、今日は「休む」のがタスクなんじゃないか?「辞める」ことばかり考えてしまうが。

と、考えていたら、だんだんと「いま」を生きている気がしてきた。たぶん、僕がやるべきことに近いのだろう。

反省して酒をやめてみる。それを忘れないための記録

昨日、自分に負けて夕方から飲酒。かなり飲んだ。

今朝、やはり悪夢を見た。

もう一人の男と工場(倉庫?)にあるフォークリフトを使って、そこの品物を盗む。フォークリフトは遅いので途中で捕まりそうになり、徒歩で逃げるところで目覚めた。

いつものように、

飲酒→悪夢と鬱状態

のパターンだが、今回は起床時の落ち込み方が酷かった(いつも同じ程度なのだろうか?自分でも分からない)。

嘔吐や吐き気はないが、「もう嫌だ」という気持ちが酷く、真面目に酒をやめないとと反省した。

いや、反省という大層なものではない。あれだけ好きな(又は依存している)酒さえも嫌になるくらい、今朝の気持ちは「嫌」だっただけだ。

ただ、昨日今日が休みで、今日はサザエさん症候群になるのが予想できる。それで飲みたくなってしまうかもしれないが、できるだけ頑張ってみるつもりだ。

補足:

ここ数日、口内炎のせいで食事時に痛み、辛い。先日は水を飲むだけでも辛かった。食事不足になり、エネルギー不足にもなっていそうだ。そしてこの口内炎も、たぶんストレスから発生している。負のスパイラルだ。

嫌な気分についての補足

嫌な気分、鬱状態については、前のエントリまででもう書くことはないと思っていたが、思いついたので補足。

昨日はビール3本飲んで、8時間は眠った。が、胃の不快感や鬱状態はなかった。

昨晩(というより今日)、帰宅したのが1:00で、そこからカミさんが用意してくれていた鍋をたらふく食べた。たくさん食べたので、エネルギーになったのだと思う。

こうしてみると、食べられないとか、時間がなくて食べ物が偏るとかの要因から、体内のエネルギーや活力がなくなり、ひいては生きようとする意欲にまで影響するのだな。

体が食べ物を欲しているかに耳を傾けるのも大事なのだけど。

嫌な気分の正体

ああ,分かった。今の仕事だ,これ。

ブログを読んだ方は「読んでてはじめから分かってた」と思われるかも知れない。

今朝は遅番なので,長く睡眠をとった。それで,何度か起きた。

そのたびに,うろ覚えだが,悪夢を見たり,見なかったり,胃部の不快感があったり,なかったり。今まで,「この感情の時にこれがある」と言っていたのが,全部白紙に戻った。

それをブログに書き留めなきゃと思うが,寝床から起き出せない。「もう嫌だ」という感情に支配されている。僕という存在がまるごと,「もう嫌だ」という感情になってしまっている。

これって不登校の子供のパターンでなかったか。学校に行こうとすると,玄関で立てなくなるとか。じゃあこれ,原因は仕事じゃないか?と,その瞬間にやっと思った。それって,はじめから分かってたことじゃなかったのか。何をやってたんだ僕は。

すごく嫌だったが,何とか起き出してこれを書いている。横になったままタブレットで書くより,PCで書いたほうが早いから。書きながら先ほど,すごい吐き気がして水を飲んだ(今回も,吐こうとしたが水を飲んだら収まってしまった)。

ああ,これはもう,気持ちの検証なんかしてる場合じゃない。辞めなきゃ。

長男taiseiの卒業式によせて(裏)

ここでは,44歳の自分が小学校を卒業したときとの違いについて述べたい。主に驚いたことだ。

僕の小学校の卒業式は,私立に進学する人を除いて,地域の中学校の制服上下だった。ボンタンなんか履こうものなら,中学のアブナイ先輩方に「夜露死苦お願いします」と言ってるようなものだった(いたけど)。

それが今朝,taiseiが制服の上を着ておらず,上はYシャツにスクールセーターだけ着ているのを見て驚いたのだが,カミさんは「皆そうなのだ」と言う。マジか?略装だろそれ。

それでもカミさんが怖いので無理矢理自分を納得させてたのだが,小学校に行ってみたら,確かに男子は,上記のような服装でほぼ統一。

すごいなあと思ったのは女子。

制服っぽいんだけど,進学する学校の制服ではない,僕に言わせれば制服のコスプレみたいな服が9割を占めたか。「今しかできないでしょ」じゃないけど,結構みんなスカートが短かったよなあ。

あとは,女子の袴である(上記のコスプレより断然いい)。

好みは分かれるだろうが,僕には有りで,ただ,僕が現役時代ならあり得なかった。こういうのって,親が話せば子供も納得するのかも知れんが,親の意向が先行してはいないだろうか。考えすぎか。

いずれにしても,進学する中学校の制服上下を着ている子は数%(見たところ84人中2人)しかいなかった。僕はそれで(それが)いいと思うのだが,こんなに率が低いと,むしろ「卒業式用の服を買ってもらえなかったの?」というふうに言われる可能性もありそうだ。どうか杞憂であって欲しい。

画一的な教育が良いとは言わない。だがなんかちょっと今日は,ファッションとかハロウィンぽく思えた卒業式だった。これも時代なのだろうけど。

長男taiseiの小学校卒業によせて

長男taiseiの,小学校の卒業式。

泣かないようにするのに必死だった。呼び掛けも,「大人が作った原稿を読んでるだけだ」と思うようにして耐えた。実際,自分が経験した卒業式は,そうだったから。

だけど,子どもたちの歌声は反則だ。卒業生と在校生が向かい合って同時に歌う「さよなら友よ」。あれは……言葉では言い表せない。音程が多少外れていても,あの純粋な声で歌われると,そしてその表情を目の当たりにすると,他のどんな演奏も霞んで見えてしまう。

それから,「お父さん,お母さん」とこちらを向いて呼び掛けられたときもヤバかった。あれはマジでやめて欲しい。僕は泣くのが嫌で,カミさんとの結婚式でさえ,両親への手紙をやめたのだから(カミさんとそのご両親も了承済み)。

思えば僕は,taiseiが生まれた時に,この子のためなら何でもすると思ったが,振り返ってみれば現在も人生に迷っていて(「これはダメ」というのはあるが),まだまだ子供だと思う。

帰ってから,卒業の日という今日の写真と,taiseiが入学した時の写真を見た。ちょうど,小学校1学年の次男ryuseiと同じくらいの体格,表情。

この時の写真は,ことあるごとに見ていたから,まるで昨日のことのようだ。

それが,今日撮ったビデオを見ればどうだ。無邪気とは違う,真剣な表情で歩き,立派に卒業証書を受け取っている。成長を感じた。もう,6年が経とうとしているのだ。いつの間にか,声も変わった。

色々な仕事がある。僕も本来なら,卒業式を見ることができないところだった。たまたま縁あって,それが叶ったのだ。

我が子の卒業式を見られなかった方。僕もそうなのだけど,そういう人がいるからこそ,社会は回っている。今日は本当に感謝した。自分もそんな職に就いて初めて,心からそう思うようになった。