「いま」を生きていないことに気づいた

自分の不快感ばかりに意識が向き、家族が笑っている時に、僕だけ下を向いて自分だけの世界に入り、笑ってない。

それに気づいたのは、今、家族と共に食事をした時(本当は良くないことだが、食事しながらブログを書いていた。前のエントリ)。

よく考えたら、休みや早番の日以外は、家族と食事できていないんだな。それはどんな仕事でもあるだろうが、現在の仕事は、子どもたちと数日会えなかったりする。カミさんは無理して起きていてくれることもあるが、寝ていることもある。そりゃ、帰りが1:00近けりゃ寝るだろう。

話を戻す。

「いま」を生きなきゃ、とは思うのだが、その人が辛い時、いまを生きる事は可能なのだろうか。その人にとっては、辛いのが「いま」ではないのか?

「その人」とは自分なのだけど。

子供の笑顔を見て、少しだけ楽になるが、直ぐに暗くなってしまう。

今ある問題(今の仕事を辞めたい)があるから。

しかしそもそも、これも「いま」ある問題なのか?

こういう思考をしていって、高校時代にノイローゼっぽくなり、バスに乗れなくなったのを思い出した。もうやめよう。だけど考えよう。

仕事を辞めるのもGTDで言えば、転職というプロジェクト内のタスクの一つに過ぎない。順番としては、「次の仕事を見つける」の後に来るわけだし、昨日は、ある会社に電話して盛り上がったけど結局ダメだったしいつもの仕事で疲れているのだから、今日は「休む」のがタスクなんじゃないか?「辞める」ことばかり考えてしまうが。

と、考えていたら、だんだんと「いま」を生きている気がしてきた。たぶん、僕がやるべきことに近いのだろう。

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