ウチで最長老ネコのミュウが,今朝,亡くなった。7時何分,そのくらい。
母に呼ばれたのですぐに行った。亡くなって数分しか経っておらず,触っても温かいので,薄目を開けて眠っているように見えた。でも,呼吸は,していなかった。
記憶が定かではないが,ミュウがウチに来たのは1996年か1997年かそのくらい(←確認取れ次第,修正予定)。ウチに初めて来たネコだった。
だから,まあ,20歳に達するかどうかというところだ。人間で言えば,90歳代らしい。
なので,いつか,この日が来る覚悟はしていた。
母によれば,ミュウは今朝,いつものように朝食を摂った。ただ,ちょっと嘔吐しそうだったので,浴室に誘導した。浴室以外で吐かれると後片付けが面倒だから,ウチは浴室の戸を閉める。だから吐き終えてから,ミュウが「出してくれ」と鳴いた。だから母は戸を開けた。
吐いたら空腹になったのか,また食べた。食べ終わって,ストーブの前まで歩き,横になった。
そのすぐ後,母が,ミュウの,毛が薄い部分を見つけた。「お医者さんに連れて行かなくちゃかな」と思った。そう思って触っている内に,呼吸をしていないことに気付いた。
ミュウと出会ったのは,まだカミさんと恋人同士だった頃,埼玉県の川の博物館へ行ったときだ。博物館から帰ろうとすると,駐車場に数羽のカラスが飛んでいるのが見えた。どこから何処かへ飛んでいくというのではない。ごく狭い,半径数メートルの範囲の上空を,上がったり下がったり,そんな飛び方だった。
近づいてみると,血の気が引いた。カラスが子猫をくわえて,持ち上げては落としていたのである。子猫は,一所懸命鳴いていた(と思った)。
それを見て,私はキレた。体中の血液が沸騰した。たった一匹の小さな子猫を,数羽のカラスで!
カラスの集団の中に突っ込んでいくと,カラスは子猫を離して逃げていった(今思えば,あの時カラスが離してくれたのは幸いだった)。
周りを見渡したが,親猫はいない。だから,ここに置いていったら,またカラスに狙われるだろう。車に乗り,子猫を膝に抱いて,一瞬考えた。まだ20歳代と若かったから,考えたというより,感情に突き動かされて,実家(当時自宅)に向かった。実家で,自分が飼うことにしたのだ。車を走らせると,子猫はカミさんの太腿の上で,すぐに眠ってしまった。死んでしまったかと心配になるくらい,くたっと動かなくなった。二人で本当に心配した。
初めは,両親に反対された記憶がある。全く理解してくれなかったのではなかったが,家の内装がビリビリにされるのを嫌がったのだ(結局ビリビリになったが)。だから初めは,私の部屋だけが行動範囲だった。
まるで兄弟だった。ある時は親子だった。眠るときも一緒。親が恋しいのだろう。いつも寝ながら,私の指をチューチュー吸っていた。
名前は,既に書いている通り,ミュウにした。工学系の大学を出たばかりだったのと,映画Back to the Futureで,ドクが飼い犬にアインシュタインと名付けていたのが好きだったのだ。
だから,既にウチにいた飼い犬は「パスカル」と名付けたし,「ミュウ」は,その鳴き声と体の小ささ=「マイクロ(μ)」から取った。
最後の写真は大きくなってからだけど。
昨日(2016-11-25)は,雪だった。今日は,日本晴だ。そんな日に,さっきまで普通に動いていたミュウが,さっきまで普通に歩いていたミュウが,亡くなった。覚悟はしていたが,突然すぎるよ,ミュウ。もっと衰弱とかしてからじゃないのかよ。
母は,泣いていた。私は,いきなりといっても覚悟はしていたので,涙こそ流さなかった。が,今こうしてブログを書いていると,悲しくなってくる。
ウチは,生き物が死ぬと,庭に埋葬する。寂しいだろうから,パスカルの隣に埋めてやろうと思った。だけど,間抜けなことにパスカルを埋めた場所を細かくは覚えていなかった。パスカルを掘り起こしちゃかわいそうなので,なるべく近くだけど多分ここなら大丈夫,という所に穴を掘った。
雪が降った翌日で,土が冷たい。こんなところに直接埋めるのでは寒くて可哀想だから,ミュウは狭いところが好きだったからと,母がダンボールを用意して,その中にミュウを納めた。
寂しくないように,花を,お腹が空かないように,カリカリを包んで入れた。
ああ,ダメだ。書いていたら涙が出てきた。
埋める時に,寂しかったから「さようなら」ではなく,「ありがとう。また会おうね」と,心の中で言った。本当は口に出して言いたかったが,両親から(私に自殺企図があるなど)誤解されては困るので,言わなかった。
ミュウよ,今日はいい天気だよ。
いつか僕がそっちに行ったら,また仲良くしてちょうだいね。